よく言われるのですが,
「縁もゆかりもないこの土地によくきましたね。
なんでここ(三重県伊賀市)だったの?
何が決め手だったの?」と。
そのあたりの経緯を少しお話したいと思います。
私たち夫婦が、都会のゴチャゴチャした場所にずーと住むのはヤダなと、
まず思いました。
まして育ちざかりの子供たちにはもっとのび伸びした環境で、
個性を伸ばしてやりたいと思ってました。
漠然とですが、「田舎に暮らせたらいいな」と思っていたのです。
その気持ちをグッと後押ししてくれた出来事がありました。
2008年の正月、私はその年の目標を決めました。
そっと心の中にでしたが・・・。
「今年こそ家を買おう。30年ローンでも仕方ないよな。
みんなそうやって家族のためにがんばっているんだよな。
幸いオレの仕事には定年がないし。」
この時点では当時住んでいた横浜市で「中古住宅で手ごろ値段の物件」を探していました。
というのも長男が小学校三年で仲のよい友達たくさん出来てきたのでまずその学区内を考えました。
そこは横浜市のなかでも、のどかな田園風景が見られる地域でしたし、
比較的安い物件がある所でした。
私にとっても20年近く住んでいる土地ですから仕事仲間や取引先など、
なににも変えがたい仕事上の財産は豊富にそこにありました。
・・・・
不動産屋さんで探せば探すほど、
自分たちの足で走り回って実際に物件目で見て、
部屋の中に入って五感で感じれば感じるほど、
現実の厳しさといいますか、
夢に見ていた理想との
ギャップの大きさ突きつけられるだけでした。
そうです。高いんです。手が届かないのです。
まったくもって・・・とてもじゃないけど、・・・買えない。
建物は自分でどうにかするとしてもです。
土地がホント『話にならない』ぐらい高いのです。
庭のない土地で我慢しようか、いや我慢できるのか、
ほんとにこれでいいのか、
狭い部屋で、本当にこれからずーと暮らしていくのか、
それでほんとうに幸せになれるのか、
後悔だけはしたくない。
納得できる答えがほしかった。毎週のように物件を見に出かけました。
そして何日も、何日も、何ヶ月も悩み続けました。
「横浜を諦める」
そう結論を出したのが2008年の秋でした。
どうしてもそこに居なければならない理由はなかったからです。
本当に一生住みたい所でなかったということです。